カラマーゾフの兄弟より

カラマーゾフの兄弟1 訳:亀山郁夫 抜粋
ゾシマ長老の行

人類愛に燃えているが、自分で自分が呆れることがある。
というのも人類一般を好きになればなるほど、個々の人間を、ということはつまり一人一人を個々の人間として愛せなくなるからだ、と。

自分は夢のなかで、人類への献身という狂おしい考えにたどりつき、何かの機会に不意に必要が生じれば、じっさいに人々のために十字架にかけられてもいいとまで申すのです。
そのくせ、同じ部屋でだれかとともに過ごすことは、たとえ二日でも耐えられない、それは経験でわかる。
だれかが自分の近いところにいると、それだけでもうその人の個性に自尊心をつぶされ、自由を圧迫されてしまう。どんなによい人でも、自分は一昼夜のうちに相手を憎みだしてしまうかもしれない。ある人は食事がのろいから、またある人は鼻かぜをひき、しょっちゅう鼻をかんでばかりいるからといって。

実践的な愛というのは空想的な愛とくらべて、なにぶんにもじつに残酷で恐ろしいものです。
空想的な愛は、すぐに満たされる手軽な成功を求めて、みんなに見てもらいたいと願うものです。
そうなると、成功に手間ひまかけないで、舞台に少しでも早くなしとげてみなの注目を浴び、
褒められたい一心から、自分の命まで投げ出してしまうことになりかねません。

それに対して実践的な愛というのは、仕事であり忍耐である。
どんな努力にもかかわらず、たんに目標に近づけないばかりか、むしろ目標が自分から遠のいてしまったような気がして、ぞっとする思いで自分を省みるような瞬間さえ、---
いや、まさにその瞬間に、あなたはふいに目標に到達し、つねにあなたを愛し、ひそかに導いてきた神の奇跡的な力を、自分の身にはっきり見てとることができるのです。

別の行

大切なのは嘘を避けることです。どんな嘘も、とくに自分自身に対する嘘は。
自分が嘘をついていないか観察し、一時間ごと、いや一分ごとに、自分の嘘を見つめるのです。
そして相手が他人であれ自分であれ、人を毛嫌いするということは避けなさい。
自分の中で忌まわしいと思えるものは、それに気づくだけでも浄化されるのですから。
恐れるということも避けなさい。もっとも、恐怖というのはありとあらゆる嘘の結果に過ぎませんがね。


カラマーゾフを読むのは2回目。
1回目はもう~極度の空腹状態のごとく、物語に引き込まれ過ぎて(笑) 
あれよあれよという間に読み進んでしまった。
いつかじっくり、一行一行怠ることなく読んでみようと思っていたところ、
思わぬ時間ができたので、ページを繰るのももどかしく、味わいながら読み進めている。
かの春樹も4回読んだとのこと。

こんなことを言うと堅物に思われるやもしれないが(本当のところ堅物だけど)、
私はロシア文学が大好き。
トルストイのアンナ・カレーニナは酔ってしまうくらい大好き。
トルストイは水平に、鳥のような視点でその世界に引き込んでくれるが、
ドストエフスキーは垂直に人間の混濁の世界に招きいれてくれる。

混沌とした暗闇の混濁の世界は、自分一人で歩を進めるのは容易なことではない。
恐怖に打ち勝つ精神力がなくては、滅多打ちにされてしまう危険がある。
でも小説を通してその世界へ入ることは、こんなに尻が青い私のようなものでも、
恐れることなくその世界に触れることができる。

長編小説はヤメラレナイ。ナラティブの世界に身をおくことの幸せを改めて痛感する。
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by asuka-urinara | 2011-03-03 02:24 | Ω Shantiな日々 Ω
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